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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和52年(ネ)64号 判決 1978年10月25日

控訴人

塚原三郎

右訴訟代理人

内山弘道

澤田儀一

被控訴人

岡安商事株式会社

右代表者

岡本昭

主文

原判決を取消す。

被控訴人は控訴人に対し、金八八九万一、七六〇円とこれに対する昭和四九年五月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを一〇分し、その一を控訴人、その余を被控訴人の負担とする。

この判決は第二項にかぎり、仮りに執行することができる。

事実

一  控訴代理人は「1原判決を取消す。2被控訴人は控訴人に対し金一、〇八九万一、七六〇円とこれに対する昭和四九年五月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。3訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人代表者は「1本件控訴を棄却する。2控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

二1  請求の原因

(一)  被控訴人は神戸生糸取引所の商品取引員であつて、当該市場における商品売買の委託を受けることを業とする者である。

(二)  控訴人は被控訴人に対し、昭和四八年一月一六日から同年二月二七日までの間九回にわたり別表第一記載のとおり、生糸先物(六月限四枚、七月限一五枚)一九枚の売註文をなし、被控訴人においてその取引をなした。

(三)  控訴人は右取引委託に際して被控訴人に対し、委託証拠金として現金九七〇万四、〇〇〇円及び株券八、〇〇〇株(東洋建設三、〇〇〇株、東亜港湾工業五、〇〇〇株)を預託した。

(四)  ところで、神戸生糸取引所における生糸先物相場は、昭和四八年初頭から騰貴をつづけていたが、同年三月に入つて連日高値を更新し、ついに、同月九日からその立会が停止されるに至つた。

(五)  控訴人は昭和四八年三月一二日被控人の富山営業所所属外務員訴外沢田久子(以下沢田外務員という)から「生糸について任意解合を行なうこととなつたので、下りるか継続するか、午後五時までに申告するように」との電話連絡を受けた。

(六)  控訴人はこれよりさき同外務員から「任意解合がなされると、該当の限月の建玉が全部解消される。その値段、値幅、時期は別に定められる。」との説明を受け、任意解合とは取引所を通じて値段、値幅、時期が定められ、売建、買建双方の委託者が同意して相互の建玉を解消するものと理解していたうえ、当時毛糸の先物取引については委託証拠金が増徴され、生糸についても同様の措置がとられることが予想されていたので、任意解合に応じない場合は、高額の委託証拠金を追徴されることとなるものと考えられたので、「もし生糸一枚につき委託証拠金が金五〇万円も増徴されることにきまつたらやむを得ない。任意解合に応ずる。」旨回答した。

すなわち、控訴人は、任意解合の実施されることを前提とし、生糸の委託証拠金が大巾に増徴されることを条件として、前記生糸の売建玉を買戻す旨の意思を表示したのである。

(七)  しかるに、被控訴人は、現実に任意解合が実施されず、また、生糸の委託証拠金の増徴が決定されたわけでもないのに、控訴人の右意思表示の直後、昭和四八年三月八日付で、前記一九枚の生糸の売建を全部買戻し手仕舞をしてしまつた。

(八)  すなわち、被控訴人は控訴人の前記意思表示があつたのにかかわらず、これを無視して前記のとおり買戻しを行つたのであるが、右は、被控訴人の被用者である沢田外務員及びその上司である訴外中村紘一がその業務を執行するについての故意又は過失に基づくことは明らかであるから、被控訴人はこれにより控訴人に生じた損害を賠償する義務がある、

(九)  控訴人は、前記買戻の結果生じた取引差損金及び委託手数料合計金一〇九七万七、一二〇円を、被控訴人にすでに支払つたが、もし、前記買戻しがなされなかつたとすれば、控訴人はその判断により昭和四八年四月九日右売建を手仕舞し、別表第二のとおりその損失を金二〇八万五、三六〇円にとどめることが充分可能であつたから、その差額金八八九万一、七六〇円は、その得べかりし利益である。

(一〇)  また、被控訴人の前記不法行為により控訴人の蒙つた精神的苦痛は、少くも金二〇〇万円の賠償を得て慰藉さるべきである。

(一一)  よつて、控訴人は被控訴人に対し、右損害賠償合計金一、〇八九万一、七六〇円とこれに対する不法行為のあとであることの明らかな昭和四九年五月一〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(一二)  かりに、控訴人の前記意思表示が条件を付したものと認められないとしても、右は前記のとおり沢田外務員が誤つた説明をし、控訴人に誤解を生ぜしめたことによるものであるところ、右のような所為は商品取引法八八条八号により禁止されているのであるから、被控訴人は民法七〇九条七一五条に基づく責任を免がれない。

(一三)  かりに右主張も、また、容れられないとしても、控訴人の前記意思表示は、神戸生糸取引所休会中の昭和四八年三月一二日になされたものであるから、それは単に市場再開後における取引の準備行為にすぎないものと解せられるところ、控訴人は同市場がなお休会中である同月一三日前記沢田外務員に対し前記手仕舞の意思を撤回し、従前どおりの建玉を維持する旨指示した。

したがつて、被控訴人は右指示に従つて控訴人の売建を維持すべき義務があつたにかかわらず、これを怠り、前記のとおり買戻しをなしたものであるから債務不履行の責を免がれないというべきである。

2  請求原因事実の認否

(一)  請求原因(一)ないし(四)の事実を認める。

(二)  同(五)(六)の事実中沢田外務員が被控訴人の富山営業所所属の外務員であることは争わないが、その余の事実は否認する。

(三)  同(七)の事実中被控訴人から委託されていた生糸一九枚の売建を、昭和四八年三月八日付で買戻し手仕舞をしたことを認め、その余の事実は不知。

(四)  同(九)の事実中控訴人がその主張の取引差損金及び手数料の支払をしたことを認め、その余の事実を否認する。

(五)  同(一〇)、(一二)、(一三)の各事実はすべて否認する。

3  抗弁

(一)  沢田外務員は昭和四八年三月一二日、神戸生糸取引所の商品取引員協会からの通告に基づき、控訴人に対し「生糸の先物取引につき同年三月八日の大引の値段で建玉の手仕舞を斡旋することになつたので、控訴人が自由意思でその斡旋に応ずることを希望するならば本日午後五時までに申出てもらいたい。」旨通告したところ、控訴人は、その隣人で被控訴人と同種の業務を営む中井繊維株式会社の富山出張所長をしている訴外某と種々協議したうえ、沢田外務員に対し従来の売建全部の手仕舞の指示をなした。

被控訴人はなお、控訴人の意思確認のため、同日夜被控訴人の富山営業所長訴外中村紘一及び沢田外務員両名を控訴人方に赴かせて控訴人と面接させ、その誤りないことを確認したうえで本件手仕舞を実行したものである。

(二)  被控訴人の前記指示に従い、昭和四八年三月一三日神戸生糸取引所において、前記建玉を処理決済した。

4  抗弁事実の認否

抗弁事実はすべて否認する。

三  証拠<省略>

理由

一1  請求原因(一)ないし(四)の事実、被控訴人が昭和四八年三月一二日のあと神戸生糸取引所の同年三月八日大引時の価格で、さきに控訴人から売註文を受けていた生糸一九枚の先物取引につき手仕舞をしたこと、訴外沢田久子が被控訴人の富山営業所所属外務員であること、はいずれも当事者間に争いがない。

2  被控訴人は右手仕舞が控訴人の昭和四八年三月一二日になした指示に基づく旨主張するところ、控訴人は右指示をしたことを認め、しかも、これが条件付でなされた旨抗争し、<証拠>には控訴人の右主張にそう趣旨の部分があるが、右は<証拠>に照らしてにわかに信用できないし、他にこれを認めるに足りる証拠はないので、被控訴人の前記手仕舞は控訴人の前記指示に従つてなされたものと認めるほかはない。

3  つぎに、控訴人は、控訴人が右手仕舞の指示をなすにつき、被控訴人の使用人である沢田外務員が控訴人に対し、商品取引法八八条八号により禁止されているところの表示を敢てしたものである旨主張するが、その趣旨は、同外務員が真実は任意解合が行われず、また、生糸先物取引の委託証拠金が大巾に増徴されることが決定したわけでもないのに、恰もこれらが実行されると解せられるような発言をして、控訴人の判断を誤らしめ、よつて前記手仕舞の指示をなさしめて損害を与えたとの不法行為を主張するものと解されるところ、<証拠>をあわせるとつぎの事実を認めることができる。

すなわち、控訴人は昭和三四、五年ごろ一時被控訴人と取引関係に入つたほか、訴外明治物産、同山室商事、同中井繊維などを通じて生糸、小豆類の先物取引を行つてきていたが、前記のとおり昭和四八年一月一六日から被控訴人に対し生糸先物取引を委託していた。

ところが、生糸先物相場は昭和四八年三月ごろ暴騰を続けたため、神戸、横浜両生糸取引所は農林省の要請により同年三月九日以降当分の間立会を休止するに至つたが、このとき神戸生糸取引所においては同省から市場再開の場合にとるべき厳しい諸条件のほか既存建玉を減少するための効果的措置の検討を求められ、別機関である神戸生糸取引所商品取引員協会にその旨を諮問した。

同協会は同月一〇日臨時総会を開いて、これを検討したところ、既存建玉を極力縮少することが市場再開を円滑に行う前提であるとの意見にまとまり、その方法として、委託者が自由意思により同年三月八日の大引値段で既存建玉の手仕舞を希望するならば、同協会がその斡旋に努力する旨申合せを行い、神戸生糸取引所にその旨申入れたところ、同取引所においては、前記のとおり立会が休止されている状況に鑑み、手仕舞が委託者の自由意思に基づくもので、しかも、総数において売りと買いの数量が対当するのであれば、三月八日の大引値段による売買取引として処理してもよい旨回答したので、前記協会はこれにそつて、被控訴人ら所属の商品取引員からの申出を受けて商内の斡旋に努力した。

その間、控訴人は連日のように被控訴人の富山営業所を訪れていたが、同年三月一〇日同所において沢田外務員から、当時同じく暴騰していた毛糸の先物取引につき、委託証拠金を一枚当り金五〇万円増徴することとなり、しかも翌々日午前一〇時までにこれを納付しないときは自動的に手仕舞になるとの噂を伝え聞き、自己が取引している生糸についても同様の措置がとられるのではないかと危惧していた矢先、同年三月一二日たまたま病床にあつた控訴人に対し、前記沢田外務員から電話で「本社から任意解合を行うことになつたとの連絡があつたので、控訴人が降りるか継続するか午後五時までに回答してもらいたい。」旨の電話があり、控訴人は折返して保険金増徴決定の有無をたずねたところ、何も連絡がないとのことであつたが、控訴人においては「任意解合」ならば、値段、値巾を定めて取引を解消するものであるから、値段一本ならそれで解合い、値巾なら相場が建ち、任意の金額で解り合うものと考えて手仕舞の指示をなすに至つた。

以上の事実が認められ、<証拠判断略>。

右認定したところによれば、控訴人の前記手仕舞の指示が沢田外務員の、任意解合が行われる旨の発言に起因することは明らかであるが、当時神戸生糸取引所においてとられた措置は、いわゆる任意解合に該当するものと認められるから、右発言の措辞にやや妥当を欠く点があるとしても、これが真実に反するものとはいえないし、むしろ、前記指示は控訴人自身の知識経験に基づく独自の判断によるものと認められるので、同外務員がその不当な言動によつて控訴人の判断を誤らしめた旨の控訴人の主張は採用できない。

4  控訴人はまた、前記手仕舞の指示は有効に撤回されたから、被控訴人はこれに従つて建玉を維持すべき義務があるのにかかわらず、これを怠つたものである旨主張し、被控訴人は右撤回に先立つてすでに前記指示を実行したので債務不履行の責は存しない旨抗争する。

そして、<証拠>によれば、控訴人は前記のとおり手仕舞の指示をしたものの病状も軽快したので再考した結果、なお市場休会中の翌一三日夕刻、電話で沢田外務員に対して前記手仕舞の指示を撤回し、従来の建玉を維持する旨申出でたが、沢田外務員において、すでに右建玉は処理ずみであるから右申出に応じられない旨回答したことが認められるし、また、被控訴人が昭和四八年三月八日付で控訴人の建玉を処理したことは当事者間に争いがない。

しかし、被控訴人が前記手仕舞の指示撤回の通知を受けた当時沢田外務員の言明した如く、すでにさきの指示が実行され、控訴人の建玉の最終的処理が完了していたとの事実は、前掲各証拠によつては未だこれを認めるに充分でないし、その他これを認めるに足りる証拠はない。

ところで、本件取引委託契約の法律上の性質が委任であることは明らかであるから、受任者たる被控訴人は委任者たる控訴人から、さきになされた指示を撤回する旨の新らしい指示を与えられた以上、すでにさのき指示に基づく取引に着手していたとしても、それが可能であるかぎり、後になされた指示に従つて取引を中止し、現状を維持することに努めなければならないことはいうまでもない。

もつとも、市場における売買は、立会時間の定めがあり、また、大量の取引を一時に処理する関係から、一たんなされた売買の申込を撤回することは困難であるから、公平の原則に照らし、さきになされた指示が有効に撤回されたことを主張する者において、受任者がこれに従つて事務を処理することが可能であつたことの挙証責任を負担すべき場合があり得るであろうけれども、本件はこれと異なり市場外の取引であるから、そこには立会時間、取引準則などの拘束は何ら存在しないので右の配慮は不要であり、したがつて、それは債務不履行の場合の挙証責任分配の原則どおり、受任者において、委任者の指示に従わなかつたことが、受任者の責に帰すべからざる事由に基づくものであることの挙証責任を負うものと解するのが相当である。

そうすると、被控訴人が控訴人から手仕舞の指示を撤回する旨新たな指示を受けながら、これに応じなかつたことは明らかであり、しかも、これが、被控訴人の責に帰すべからざる事由に基づくことの証明がないのであるから、被控訴人はこれによつて控訴人に生じた損害を賠償する責を免がれることはできない。

5  そして、控訴人が前記手仕舞の結果生じた差損及び委託取引金手数料として金一、〇九七万七、一二〇円を被控訴人に対して支払つたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、控訴人が昭和四八年四月九日被控訴人に対し本件建玉の手仕舞を指示したこと、被控訴人が控訴人の指示に従つて同年三月中手仕舞せず、同年四月九日これを実施していたならば、控訴人が被控訴人に支払うべき取引差損金及び委託手数料の総額は別表第二記載のとおり金二〇八万五、三六〇円であつたことがそれぞれ認められ、これに反する証拠はないから、結局、控訴人は被控訴人の債務不履行により別表第二記載のとおり金八八九万一、七六〇円の損失を受けたこととなる。

6  なお、控訴人は被控訴人に対し慰藉料の支払をもあわせ求めているが、前記認定したところによれば、本件は単なる債務不履行にすぎず、しかも、その原因の一半は控訴人にあるものと認められるので、財産的損害に対する賠償のほか被控訴人に対し慰藉料の支払を求めることは許されないものというべきである。

7  よつて、被控訴人は控訴人に対し、本件債務不履行による損害の賠償として金八八九万一、七六〇円とこれに対する、被控訴人が本件訴状の送達により遅滞に陥つたことの記録上明らかな昭和四九年五月九日の翌日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金支払の義務があるといわなければならない。

二以上の次第で、控訴人の請求を前記認定の限度をこえて棄却した原判決はそのかぎりで失当であつて、本件控訴は理由があるから原判決を取消して本件請求を前記の限度で認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、<中略>主文のとおり判決する。

(黒木美朝 富川秀秋 清水信之)

別表第一、第二<省略>

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